大地震に思う職住近接のありがたみ

3/11(金)の大地震には驚いた。そのとき僕は関内の友人のオフィスにいた。

「この地震は長いなぁ」と思って出口確保のためにエレベータホール側の扉を開ける。

その頃から揺れが大きくなり、扉を押さえて立ち尽くしたまま動けなくなる。目の前の壁にみるみる亀裂が入っていく。

パリンとガラスの割れる音が響く。振り返ると部屋の中は棚が崩れ落ち、見るも無残な状態になっている。

悲鳴と共に同じフロアの別の会社の人たちもエレベータホールに這い出してくる。彼女らは防火扉が閉まらないように必死に押さえている。

「あと1分この揺れが続いたら、床が落ちるんじゃないだろうか?」
「だとしたら、目の前の階段に飛び移ったほうがいいか?」 (ニュージーランドの地震でもそうだったように床が落ちて階段が残るケースは多い)

そんなことを考えているうちに、揺れがおさまる。カバンと携帯電話を取りに部屋に入る。こぼれたコーヒーのにおいがする。

いったんビルから出る。家族に電話するが、繋がらない。メールも送れない。家に帰れなくなることも考えて、防寒のためにコートとマフラーを取りに戻る。

「このビルはヤバい。早く出なきゃ!」

とりあえず広い場所を求めて歩き始める。歩道の路面が浮き上がっていたり、ビルの壁面タイルが剥がれ落ちたりしているところがある。

桜木町まで来たところで、大きな余震に遭う。ビルの壁面がしなっているのが見える。

そのとき、オフィスが焦げ臭いように感じたことを思い出す。

「あっ、あれだ!」

その原因が思い当たり、慌てて関内のオフィスに引き返す。

やっぱり焦げ臭い。ある熱を持つ機器が原因だった。その機器の電源を切り、ブレーカーの主電源を落として、出てきた。

「危ないところだった。さぁ、帰ろう。」

バスは満員。道路は大渋滞。肚を決めて歩くことにした。途中、知り合いの店や事務所に立ち寄りながら2時間で帰宅。つくづく職住近接のありがたみを感じた。

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