2011年2月12日土曜日

環境教育Ver.3:ソーシャル化する企業の環境教育

この10年間で企業の環境教育研修は大きく変わってきた。私が10年前にIT系コンサルティングファームでISO14001認証取得企業向けの環境教育eラーニングサービスを立ち上げた頃とは隔世の感がある。
この10年間における環境教育研修の最も大きな変化は、その「位置づけ」である。一部の先進企業では、「対策」「管理」「義務」という「守り」だけでなく「社会貢献」「顧客創造」「持続的な発展」という「攻め」に転じている。
いったいなぜそのような変化が起きたのか?
10年間前の環境教育研修をVer.1とすると、先の問いを「なぜ環境教育研修がバージョンアップしたのか?」と言い換えてもよい。ここでは、そのバージョンアップの背景について考察する。

環境教育Ver.1:インプット型

10年前の2001年といえば、国内の企業でISO14001認証取得が盛んだった頃である。ISO取得企業では、ISO14001の4.4.2 能力、訓練及び自覚」に定められた通り、自社の事業活動が環境にどのような影響を与えているかを自覚するための社員教育が求められた。
そこで、「環境問題の概要」、「自社の事業活動による環境影響」、「自社に関わる環境法規制」などについての「知識」をつけることで、社員の自覚を促そうとした。
この環境教育をVer.1とすると、それは「インプット型」だったと言える。環境教育Ver.1の課題は、「コスト」と「マンネリ」である。

課題1 コスト

ISO14001の4.4.2 能力、訓練及び自覚」が求める「自覚」の対象は、全従業員である。このおかげでISO認証取得を支援している監査法人系コンサルティングファームは、認証取得で儲け、認証取得後の監査と社員教育で儲けた。
もともと環境対策は企業防衛のための必要コストだった。そこにISO14001による管理、管理、また管理で環境対策コストが増大した。
ISO14001の4.4.2 能力、訓練及び自覚」が求める全社員教育のコストを抑えるために登場したのが、私も立ち上げに関わったeラーニングだった。全社員が受講した履歴を取る必要からeラーニングのほうが好都合だった。それは、環境教育がまだVer.1「インプット型」だったゆえに可能だった。

課題2 マンネリ

もう一つの課題である「マンネリ」は、製造業以外の業種、製造部門以外の職種に起こった。製造業以外の業種、製造部門以外の職種における環境影響といったら、「」「ごみ」「電気」の3点、それに営業車があればその「燃料」ぐらいなのだ。
それは、ネタ切れして当然だろう。2000年代半ばごろから環境教育は新しい方向に向かう。

環境教育Ver.2:アウトプット型

2003年ごろから、一部の先進企業に新しい環境教育の動きが現れる。
CSR(企業の社会的責任)が企業に求められるようになった。それに伴い、環境教育はCSR教育の一部に位置づけられ、「企業の社会貢献」としての目的が加わるようになる。私は調子に乗って、CSR教育のeラーニングを開発していた。いま思えば、環境教育Ver.2の本質がまるでわかっていなかった。

CSRに加えて、大きなイベントが新しい環境教育を方向づけることになった。
きっかけは、2003年10月に制定された環境教育推進法だ。これは、企業に対する義務がなんにもなく、ただの「スローガン」みたいな法律だ。当時、この法律を取り上げるメディアは環境情報誌以外にはなかった。
このままだったら、「当時野党だった民主党による選挙対策のためのパフォーマンス法律」で終わっていたはずだ。ところが、そこから日本が国連に働きかけて、2005年に国連で「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」という宣言が採択される。
CSRとESDが重なった流れで、企業がNPOと組んで環境活動を展開したり、企業の社員を講師とした学校向け環境教育を行ったりと、企業の知識・技術を社会へ転換する形で環境教育がアウトプット型にバージョンアップしていった。
アウトプット型において、環境問題とその解決策の一例として自社の環境技術を紹介する企業も現れる。これは見事に成否が分かれる。
その成否は、「だれがやっているか」で決まる。「環境問題の解決が自分たち(その人本人、自社、社会)の存続に不可欠」と腑に落ちた人たちがやっているからこそ受け入れられる。
環境教育がインプット型からアウトプット型になり、上っ面でPR効果、イメージアップ効果を狙おうとすると、まったく逆効果になる。腑に落ちていない人が頭で考えたことを言われると、「上から目線」に感じる。
ある大手メーカーの「すべては地球のために」というスローガンなど、まさに腑に落ちていない広告代理店の連中が頭で考えた「上から目線」の典型例だ。
地球は摂氏4,000度の灼熱地獄から誕生した。誕生直後は地表に酸素はなく二酸化炭素と放射線が充満していた。そこから46億年をかけて、ようやく人間が住めるようになった。その人間が環境をどれだけ破壊したところで、地球は困らない。
地球にとっては誕生後の数億年に比べれば、人間の環境破壊などインフルエンザぐらいなものだ。ならばインフルエンザウィルスを殺せばよいだけである。「すべては地球のために」とはインフルエンザウィルスが「すべては人間のために」というようなものだ。馬鹿げている。
環境教育がVer.2にアップグレードしたことで、こうした企業の「消費者との目線の乖離度」が私たち消費者に明け透けになった。
その一方で、環境教育Ver.2に成功した企業では、それが「消費者と目線を合わせる効果がある」ことに気づいた。そのような企業では、2010年代に入り、再び環境教育のバージョンを上げていく。

環境教育Ver.3:体験・共感型

2010年代に入ると、体験型の環境教育を試みる企業が増えてきた。正確言えば、次の3種類がある。
  • 消費者向けの環境イベントに社員参加を促したもの(Ver.2の発展形)
  • 社員向けの環境教育研修を消費者参加型に発展させたもの
  • NPO主催の環境イベントに社員を参加させるもの
いずれにしても、これらに共通するのは「体験型」であるという点だ。
この場合の「体験型」は、必ずしも自然体験でなくてもよい。東京ガスの「エコクッキング」のような自社技術を使った省エネ体験なども含まれる。
なぜ体験なのか?
これには、2つの理由がある。

理由1. 環境意識の根源は共感

環境教育Ver.1インプット型によって、確かに知識が頭に入るかもしれない。だからといって、腑に落ちるわけではない。だから、環境推進室にうるさく言われる「紙」「ごみ」「電気」を減らせば、それでよい。間違っても、マイバッグ、マイボトルなど持ち歩かない。
これは、毎年夏が近づくたびに「ダイエットしなきゃ」と言っている人の心理と同じだ。夏が過ぎたらどうでもよくなる。ダイエット成功者の私の経験では、ダイエットの理由が腑に落ちれば、ダイエットに成功する。
「腑に落ちる」の腑とは内臓のこと。頭ではない。「腑に落ちる」には、頭でわかる環境教育Ver.1では無理だ。体で感じるしかない。
環境意識の場合は、できれば集団的な体験がよい。ダイエットでは、行動するのも受益するのも自分だ。ところが、環境問題では自分の行動の改善が自分以外、とりわけ自分よりも若い世代に便益をもたらす。それゆえ、環境問題は「共感」することで腑に落ちやすくなる。

理由2. 顧客と共感するソーシャルメディア

商品開発、マーケティング、営業の現場では、消費者目線で考えるのは鉄則だ。モノ余りの現代においては、消費者目線で感じあうレベルが問われる。
また、近年、Twitter、Facebookといったソーシャルメディアが台頭してきた。企業もソーシャルメディアに打って出たい。ところが、そこは企業が情報を統制できない世界だ。消費者目線で感じあう感覚がなければ逆効果になる。諸刃の剣だ。
その点、体験型環境イベントは、リアルなソーシャルメディアだ。バーチャルのような一人歩きの心配がない。バーチャルなソーシャルメディアに踏み込む前に消費者目線で感じあう貴重なトレーニングの場なのだ。
環境教育の最新版がVer.3なのは、奇遇だ。「コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則 」を読んだことのある方は、ご存知かもしれない。マーケティングの大家フィリップ・コトラーの説く「マーケティング3.0」とは、まさに「ソーシャル・マーケティング」のことだ。
2010年代初頭における企業の環境教育とも合っている。企業の環境教育もソーシャル化に向かっているからだ。それは、マーケティングにもフィードバックする可能性がある。もはや企業にとって環境教育は、「守り」から「攻め」に転換するためのトレーニングの場だと言える。

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